毎年年末になると「今年はなにをやったかなぁ」と考えるんだけど、まさか2025年の年の瀬に、資金調達の真っ最中で事業説明会を開催しているとは想像していなかった。
いま、ウチには従業員はまだいない。いるのは、パートナーの杉ちゃんとぼく、2人だけだ。
それでも、いやだからこそ、よく話す。
「どんな組織にしたい?」
「どんな仲間を迎えたい?」
そのたびに、ジム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー①②』を思い出す。どんな戦略よりも先に、「誰をバスに乗せるのか」を考え続けた会社たちの話。あの感覚を、いまの2人の段階からちゃんと持っていたいと思っている。
インテリジェンス時代、社長の宇野康秀さんがよく言っていた。
「社会に価値ある何かを残す」
そしてもう一つ。
「ハイ・モラル、ハイ・スピード、ハイ・ファンクション」
この2つのフレーズがいまでも脳にこびりついている。経験は記憶として海馬に刻まれ、刺激によって想起され、思考になり、行動になる。
きっと、いい経験をしてきたのだと思う。多少の思い出補正込みで笑
あの頃に浴びた言葉たちが、いまの自分の「ビジネス人格」の土台になっている。
資金調達に入ると、いろんなことを説明しなければならない。
・どんな市場で
・何をやろうとしていて
・なぜ自分たちなのか
差別化要因はなんですか?と聞かれるたび、最終的にはやっぱり「人」に行きつく。
そのたびに知識でも、実績でも、肩書でもなくて、「伝えることができる経営者」と「そうはいっても伝わらない経営者」を分けているのは、“演じることができるかどうか” だ、と感じている。
この「演じること」は、経験から生まれる。もちろん知識からも生まれる。
キャリアを式にするなら、
(知識+スキル+経験)×姿勢
だと思っているけれど、経営者という役割だけ切り出すなら、そこに「どの人格を演じるか」という要素が強く乗ってくる。
差別化要因やミッションを、なんども語る。ピッチで、説明会で、杉ちゃんとの雑談の中で、言い方を変えながら繰り返す。
それは相手に伝えるためであると同時に、自分自身にインストールしている行為でもある。
繰り返し語ることで、少しずつ「ビジネス人格」が形になる。その一方で、ビジネスから離れた自分は、かなりポンコツだという自覚もある。
怠けたいし、面倒なことはしたくないし、できることなら楽しくお金を稼ぎたい──なんていう世界は、現実には存在しない。
それでは組織のリーダーにはなれないし、事業も進まないし、未来もつくれない。
だから、誰かにとっての理想の経営者という役を、1日18時間くらい演じているような感覚で生きている。
じゃあ、その「誰か」は誰か。
ぼくの場合はシンプルで、ぼく自身と、ぼくが「いいな」と思った人たちのためだ。
まだ見ぬ仲間たち、これから一緒にバスに乗ってほしい人たち。その人たちの前でだけは、口にした理想から逃げない自分でいたい。
疲れないか? 疲れるに決まっている。
重くないか? 重いに決まっている。
それでも続けていくと、演じている自分と素の自分のボーダーラインが、少しずつ消えていく。
やり続けることは、宣言に近い。
言い切る。やると言う。やると言ったからやる。その繰り返しで、自分が変わり、周りが変わり、組織が変わっていく。
理念は共感をうみ、
共感は理解をうみ、
理解は行動をうみ、
行動は結果をうむ。
結局、経営者は結果でしか語れない。(前にも書いた気がするけれど)
年の瀬に、あらためてこんなことを考えている。
正直に言うと、まだまだ自分への追い込みが足りない。
だから、ここに書いておく。
文章にすることで、自分の逃げ道をふさぐために。
落とし穴は、前方に大きく口を開けているとは限らない。
たいていは側溝みたいに、すぐ横にある。
足を取られないように注意しながら、それでも前に進もうとしている2人組の会社が、いまここにいる。
この先、どんな法人格をまとった組織になっていくのか。
それは、これからぼくらがどんな人格で仕事をしていくかにかかっている。

