こういう言いかたはやだなぁと思いつつ、ほかに表現方法がない。なにかを手に入れたいなら、奪いにいかなければならない。 だまっていても、なにも伝わらない。 知られていないものは、選ばれることはないのだから。

どした?と言われる書き出しですが、マーケティングとはなにか? を常に考え続けています。それは、ビジネスの世界における「永遠のテーマ」のようなものですよね。 マーケティングの定義はあちこちにあふれ、だれもが正解を知っているようで、だれもが迷っているような気がする。

数字をつくること。 伝わってほしい人に、正しく伝えること。 そして、まだ見ぬ想定顧客を探しつづけること。

そのどれもが真実だけれど、ぼくにとってはマーケティングとは、経営そのものという漠然とした言葉がうかぶ。 一つの三角形(△)があるとしたら、左側に「マーケティング」、右側に「セールス」、そしてそれらを支えるのが「経営管理」って理解をしている。

マーケティングという翼を使いながら、経営管理という土台を固める。 その向こう側にある「セールス」へと、確実につなげていく。

「なんとかなるよ」 「なんとかするさ」

この言葉を、単なる精神論で終わらせないために。 確実に勝利をたぐり寄せる「仕組み」を創りつづけること。 それこそが、ぼくの考えているマーケティングなのかもしれない。


「なんとかならんかな」という、最後の一枚。

経営の現場で、ぼくがよく口にする言葉がある。 「なんとかならんかな」

これは、けっして精神論や粘りたいってわけじゃないんですよね。今の打ち手以外に、なにか別のルートはないか。 別の角度から光を当てれば、見落としているアイディアが出るのではないか。 そんな「複眼的なヒント」を、死に物狂いで探しているサインなんです。

これに対して「どうにもならないですね」という言葉が戻ってきた瞬間、会話は死に、思考が停止する。 「そこをなんとか打破するヒントはないかな」と畳み掛けて「ないですね」と返されたときの徒労感。

最初の起業のとき、そんな場面が山ほどあった。

経営やマーケティング、営業におけるKGI(重要目標達成指標)はなにか。 それは結局、数字じゃないのか。 経営は、結果がすべてだもの。 目の前のカードが尽きる前に、思考停止に陥られたときほど、虚しいときはない。

経営者というか、ぼくが求めているのは、安易な「正解」じゃない。 ぼくはよく、「正解はそれぞれだけど、不正解はある。ただ不正解を選びたくないだけだ」と言う。 最後の一枚まで、一緒にカードを探そうとする。 そんな「思考のプロセス」の共有を求めているんだと思う。

なので会議のおわりが「がんばろう」になると、脱力感があふれる。


不確実性を、営業を、科学で打破する。

最初の会社だったインテリジェンスで島田亨さんに徹底的に教えこまれたことがある。 それは、「営業を科学する」という概念。

ビジネスには常に不確実性がつきまとう。けれど、それを「運」や「あきらめ」のせいにしてはいけない。 売上目標とは、けっして「願望」ではないってこと。

それは、正しい「論理(確率)」と、圧倒的な「行動量」。 その掛け算によって導きだされる、必達の「約束(コミットメント)」でなければならない。 この「論理」を組み立てることこそが、思考を止めないということだ。スタートアップだろうが、ベンチャー企業だろうが、結果にコミットできる人材のみが生き残るのは、思考を止めないからだと思う。

あれから随分と時間がたった。 あまりに多くの波をくぐり抜けてくるなかで、感覚的なことや、手法の数々も、相当な量が記憶の底に沈んでしまったけど、沈んでるなかから、いま引っ張り出している。

修羅の海を渡りきるには、やはり「勘」だけでは足りない。 今週末、沈んでいた記憶を呼び起こし、営業を科学する仕組みをもう一度、設計しようと思う。 設計して、すぐに運用にのせる。

マーケティングという抽象的な海を、論理という航路に変えていく作業だ。


仕組みが、自由を連れてくる。

なぜ、そこまで仕組みにこだわるのか。 それは、仕組みこそが「しなくていい苦労」を減らし、不確実性を打破してくれるからだ。偶然を待つよりも、マーケティングを営業を科学して、「再現性」のある組織をつくったほうがきっといい。

たとえば、ずっと昔からある「スタンプラリー」という体験。 これも、ただの紙のままでは、思考停止した「配って終わりの施策」になりかねない。 けれど、デジタルに、NFTに置き換えるだけで、顧客の動きを確率として捉える「科学」に変えることができる。

明日は、その具体的な一歩について。 「紙からNFTに切り替える7つの理由」というタイトルで、体験を「願望」から「資産」に変える方法を整理してみようと、いまさっき思った。