前編では、ルミアデスが「NFTを売るのではなく、ビジネス構造にする」というアプローチをとっていること、そしてそれがなぜ強みになるのかを書いた。 今回は、その続きで「なぜ、そんな実戦的な路線を走ることになったのか?」という、ぼく自身のバックボーンについて語ろうと思う。
「組織は経営者の器以上に大きくならない」 常々いわれる言葉だが、ほんとそう!と思う。だとしたら、会社のあり方は、経営者の生きる指針そのものが反映されている。そもそも自分以外から驚くくらい立ち居振る舞い、言動を見られているのに気づいたのは最初の起業のときだった。
「クリプトギーク」ではない
ぼくたちのビジネスモデル設計が尖っている、といわれる最大の理由は、代表のぼく自身が、テクノロジーの思想に傾倒したエンジニアでもクリプトギークでもないからじゃないかな。
16歳からバンド活動にのめり込み、22歳で音楽から離れた。当時は今みたいにCDを簡単にだせたり、配信アプリもない。メジャー契約といってレーベルで契約するか、スタジオミュージシャンとして売れっ子になるかくらいしか生きていく方法がなかった。(ちなみにクラファンでCD制作するのはなんでだろう?流通大変なのに)
下北沢に生息していたころ、うんと年上の人たちがカノカレに食べさせてもらっていたり、「売れなくてもやりたいことができていればいいんだ!」といった類の会話を居酒屋でしているのをみるたびに、自分が同じくらいの年齢、たぶん40歳すぎくらいだと思うけど、「これは無理だ」「そこまで突き詰めるのは自分にはできない」と思った。今思うと、ぼくはニッチな世界よりポピュラリティ獲得を志向していたんだろうと思う。
その後、年齢的に「もう限界だな」とおもい、アルバイト先だった株式会社インテリジェンスに入社し、2000年5月のJASDAQ上場を経験した。それからは、スポーツデータコーポレーション創業参加、SEOエージェントのファンサイド創業、ワークスエンターテイメント創業、攻城団の創業と常に「ゼロからイチ(0→1)」の新規事業を立ち上げ続けてきた。
ぼくの根っこにあるのは、「いかにして目の前のビジネス課題を解決するか」「潜在的な市場をどう広げていくか」「想定顧客を探す=量*率」という、シリアルアントレプレナーとしての思考回路だけと理解している。 だから、「ブロックチェーンが世界を救う」といった技術ファーストのロマンチシズムからスタートしているわけでは決してない。
インテリジェンスのときには、システム室にいたけどDB/SQLエンジニアとしてはへっぽこすぎたし、ファシリティやサーバ運用設計をおこなっているほうが楽しかった。
はなしを戻すと「現実の切実な課題を解決し、収益化の構造を創り出すために、たまたまNFTというものすごく便利なツールがあった。だから、徹底的に使い倒す」ただそれだけのことなのだ。
「クラチケ」がうまれたとき
このスタンスを象徴しているエピソードをあらためて。事業再構築補助金に採択された「クラチケ(クラシック音楽のNFTチケット配布が可能)」だ。 あれはコロナ禍の真っ只中。世界中のホールが閉鎖され、演奏家たちが表現の場と収入源を絶たれた。彼らの絶望を目の当たりにして、「なんとかして支援できないかなぁ」と動き出したのが始まりだった。
『クラチケ』NFT(画像・音・映像)の配布やグッズチケットを購入
最初はPR支援やウェブサイト構築など、現場の熱量に寄り添いながら手探りでやっていた。でも、それだけでは根本的な解決にはならない。 どうすれば、演奏家とファンをダイレクトに繋げるか。どうすれば、生み出す価値に、適正な収益を還元する「仕組み」を作れるのか。
毎月のようにXで意見が飛び交っているいつもの光景は3年経ったいまも変わらない。それだけ業界の構造的な悩みなんだろう。じっさい要因を書き出せば課題はなにも変わっていないんだけどね。
で、試行錯誤を繰り返す中で、ふと閃いたのが「チケットをNFTにする」という発想だった。
チケットにデジタル特典としてNFTを紐付け、二次流通の際にも演奏家にロイヤリティが還元される。そうすれば、ファンは「推し活」の証を一生の資産として保有でき、演奏家は新たな継続収益モデルを得る。またQRコードや文字の配列よりも
最初からWeb3の波に乗ろうとしたわけじゃない。現場の課題を解決するためにNFTに出会ったという次第だ。
「変わる自由」と、4つのギア
OEMコスメやメタルジークレーボードといった、一見すると無関係な事業を抱えているのも、根っこは同じだ。ニーズがあれば事業を立ち上げ、クライアントが悩んでいれば、その解決のために「そもそも論」から入って形にする。これらをぼくたちは「RWA x NFT 」と呼んでいる。
ぼくが好きな言葉に、映画『ベンジャミン・バトン』のセリフがある。 「人生に遅すぎることは何もない。いつ始めてもいいんだ。変わるのも、変わらないのも君の自由だ」
経営における「時間効率」を最大化するためには、固執を捨てたほうがいい。 戦略が機能していないなら、光の速さで修正する。そもそも小規模な企業がとれる戦略の選択肢なんて限られている。
市場の反応が鈍ければ、アプローチを根底から疑う。この「変わる自由」があるからこそ、ぼくたちは臆することなく、より深い「危うさ」へと踏み込める。
ぼくの持っているギアは、「情報・思考・伝達・実務」の4つだ(運転免許証は持っていないけど)。 生々しい課題という情報をインプットし、思考し、解決策を伝達し、実務として愚直に実行する。そこに境界線はない。
もがき、スパークを仕組みに変える
ぼくは、ジャン・コクトーの「存在することの危うさに、最後の最後まで賭ける」という覚悟が好きだ。 「危うさ」とは、無謀なリスクのことではない。「新しい発見が生まれる唯一の場所」のことだと思っている。
安全な場所では、何も生まれない。不確実性という壁にぶつかり、必死にもがく。その摩擦熱が「スパーク」となって暗闇を照らし出す。ルミアデスの光とは、まさにそのスパークのことだ。
そりゃそうよ、だってねぇ、、、心なんて毎日折れそうになる。経営者だからって折れないわけない。 でも、その誘惑に抗い、もがきながら見つけたスパークを、「なんとかなる」という願望から、確かな「仕組み」へと変換していく。それがぼくらの仕事だ。
五十路を越えて、ゴールにたどり着くことだけが価値ではないと思うようになった。何者かになりたくて、未知の中で見つからない答えを探して試行錯誤を繰り返す。その「プロセス」そのものが人生なのかな、と思い続けようとしている状態が延々と続いている。
ルミアデス・ソリューションは、これからもキラキラしたメインストリームにはいかないんじゃないかな。 現実世界の生々しい課題にダイブし、もがき、刹那のスパークを生み出し続けるほうが似合いなのかもしれない。
それを毎日連続的に生み出していくことが持続性を高めることになるんだろうな。
投稿者プロフィール

- 代表取締役社長
- 16歳からバンド活動をおこなう。22歳を機に音楽から離れ、1993年 株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア)入社、2000年株式上場後に退社。スポーツデータ・コーポレーション創業に参画。2003年、ファンサイド株式会社創業 取締役、同年10月、個人事務所設立。2005年コミュニケーション・ウェイ株式会社創業。翌年、企業合併により株式会社ワークスエンターテイメントへ商号変更 代表取締役社長。2010年退任。2013年個人事業主として活動。2016年 攻城団合同会社創業 業務執行社員副社長。2024年、個人事務所を株式会社ルミアデス・ソリューションとして現職
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